日本初『ゼロ・ウェイスト宣言』を行った徳島県上勝町の『ゼロ・ウェイストセンター』視察

徳島県勝浦郡上勝町のゼロ・ウェストセンターに行き、スタディツアーSTUDY WHYに参加しました。

上勝町がゼロ・ウェイスト宣言をするまでの経緯

  • 1950年代にプラスチック製品が出現するまでは、日用品のほとんどは木や竹等自然に還る素材でできており、ごみ箱も無かったという説も。
  • 1970年に制定された「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」では、一般廃棄物の処理責任は市町村にあることが明確にされたが、上勝町の財源には基準を満たすだけの設備を整える余裕はなかった。
  • そのため、1975年前後から1997年にわたり20年以上、上勝町ではやむを得ずではあるが公然と野焼きが行われていた。1970年代の上勝町は建設ラッシュの時代。温泉施設や正木ダム建設工事で発生する大量の残土を埋める場所として日比ヶ谷(現・ゼロ・ウェイストセンター)が選定された。
  • 工事に伴う行き場を失った製材くずも日比ヶ谷に捨てられるようになると、住民も野焼きでの処分が困難なごみを持ち込むようになる。
    ※その当時の写真をスタディツアーで見せてもらいましたが、(上勝町役場 企画環境課のゼロ・ウェストポータルサイトにも掲載されています)衝撃の光景です。文献には、犬や猫、鶏などの動物さえも捨てられて野良化し、カラスが集団で飛来していたともありました。
  • 県からの再三の指導や埋立地の残容量不足に後を押される格好で、1993年「リサイクルタウン計画」の策定に着手するようになる。

このことからも、環境問題に率先して着手していたわけではなく、仕方なく始まったということがわかります。

  • 「リサイクルタウン計画」では、各世帯への生ごみ処理機の設置補助、小型焼却炉の導入、リサイクルのための22分類を導入した。
  • 2000年12月「ダイオキシン類対策特別措置法」が公布され、僅か2年余りで焼却炉閉鎖。翌2001年1月よりさらにゴミを減らすために35分類へ舵を切った。
  • 2001年より上勝町長になったのは、商品を企業に有価で回収させる「資源回収法」の制定を提唱してきた笠松和市氏。
  • 2003年、国際環境NGOグリーンピース・ジャパンのゼロ・ウェイスト普及活動の一環でアメリカの大学教授ポール・コネット氏が上勝町に来町した際に、ゼロ・ウェイスト宣言を行うように迫られる恰好で、日本初のゼロ・ウェイスト宣言を行った。2020年を目標に焼却や埋め立てごみの処分をなくす最大限の努力をすることに加え、企業の回収責任についても言及した。

このように、上勝町自らというよりは外部から促される格好でゼロ・ウェイスト宣言を行いました。その後、2005年にNPO法人ゼロ・ウェイストアカデミーが発足、2016年に上勝町ゼロ・ウェイストタウン計画を策定され、今に至ります。

ゼロ・ウェイストセンターのゴミ出しルールは 45 分類

さて、ゼロ・ウェイストセンターでは、現在45分類のごみ分別がされています。上勝町の住民は、自宅のコンポストで処理する生ごみ以外は全てこのウェイストセンターに持ち込まれ、分類廃棄します。
ウェイストセンターというと聞こえは良いかもしれませんが、当然ただのごみ処理場です。
ごみ処理場=臭い、汚い というイメージが先行しますが、屋外ということを差し引いてもここではニオイがしません。先述の通り、生ごみは各世帯でコンポストに出すため生ごみが無いことも要因の1つですが、住民がキチンと洗って乾かしてからごみに出すという努力をしているためだと言います。
聞いただけで「面倒くさそう」という言葉が頭を過ぎります。「ルールを守らない人はいないのですか?」と質問すると、「住民がごみを出す時間には町の職員がごみステーションに立つので人の目もあって大体の人が守ってくれますが、未だに野焼きをしている人やルールを守って下さらない方もいるのは事実です」とのこと。ゴミ出しの様子を見られているというプライバシー侵害の懸念という課題点もあります。

収支のわかる廃棄BOX

興味深いのはその廃棄BOXです。以下の写真のように、分類の種別とともに必ず金額とリサイクル先が記載されています。

金額の見方は、処分するのにかかる収入と支出を表しています。
例えば、【雑金属】には、入と書かれた緑枠ため、1キロ当たり20円で徳島市で各種金属製品としてリサイクルされます。
一方、【電球・蛍光灯】は、出と書かれた赤枠のため、1キロ当たり105円で徳島市にガラス製品としてリサイクルされます。

このような徹底したリサイクルでも、以下のようにどうしても焼却・埋立なければならないものがあると言います。
身近なものでは、繊維やゴム、金属が合わさって作られることの多い靴や汚れの落としきれないマニキュアの瓶、おむつ類が当てはまるようです。

地元小学生が発案『くるくるショップ』

廃棄するものの中には、『まだ使えるんだけれども自分にとっては要らないもの』もあります。それはゴミとして廃棄したりリサイクルに回すのではなく、ゼロ・ウェイストセンター内にある『くるくるショップ』に持ち込みます。
くるくるショップがあるのは、ホテルのレセプションを兼ねた場所ですが、この建物自体も良く見るとアップサイクルされたものばかりでできています。

これは、2006年に地元小学生が考案しスタートした無料のリユース推進拠点。持ち込みは上勝町民限定ですが、持ち帰りは誰でも可能。持ち帰りの際は重さを計測してもらい、年間どれくらいのものがごみにならずに済んだか記録してもらうシステムです。

ここにあるのは、9月18日時点での9月1~17日の間に持ち帰られたごみの量で417kg。
年間10~15トン程のごみの削減に貢献しているそうです。

ゼロ・ウェイストアクションホテル HOTEL WHY

いまとなっては、日本有数のゼロ・ウェイストタウンとしてのブランディングに成功していると言って良い上勝町。私が視察に訪れた日にも、海外からの視察ツアーが来ていました。スタディツアーを担当してくださった方はお若い女性の方でしたが、北海道出身で、ゼロ・ウェイストセンターに併設のゼロ・ウェイストアクションホテル HOTEL WHYに就職するために移住を決めたそうです。

ごみ処理場にホテルが併設されているのは世界的にも珍しい例です。今回は別の温泉宿に宿泊しましたが、HOTEL WHYの施設や家具はアップサイクルされたものを中心に作られています。浴室や洗面台の壁や床には「くるくるショップ」で持ち帰りのなかった陶器を使用。滞在中に使う石鹸は自分が使用する分を考えて石鹸をセルフカットしたり、コーヒー豆の量り分けをします。滞在後には、自分が出したごみをを持ち、ゴミステーションへ行きスタッフと共にごみを資源へと変えていく体験ができるそうです。

私が宿泊したのはゼロ・ウェイストセンターからほど近い温泉宿「月の宿」さんでしたが、そこでは廊下に分別用のゴミ箱が設置されていました。
上勝町に研修にいらっしゃる方向けのお得な料金設定の上勝町視察宿泊プランも用意されています。

幸いなことに、私が視察に行った2023年9月~11月まで上勝町では『上勝に泊まって応援キャンペーン』を実施していました。このような財源も地道なリサイクル活動を通じてからこそだと思います。

ゼロ・ウェイストセンターの?の形

ゼロ・ウェストセンターと言えば、?の形をしていることで有名ですが、この形は「このままでいいのか?」と問いかけを続けていくための?だそうです。

出所:https://www.chillnn.com/177bcc0b991336

サステナビリティには明確な正解や、ここまでやれば良いといったゴールは無く、常にいまのままで良いのか?、もっと良いやり方はないのか?と問い続けることが、サステナビリティの真意なのだと思います。そしてやはり欠かせないのが住民参加。よそ者が外からいくら言ったところでサステナビリティは実現しません。
上勝町は、きっかけこそ「仕方なく」や「外部の人に迫られて」で始まったゼロ・ウェイストタウンですが、実行したのは他の誰でもない住民です。いまの上勝町のゼロ・ウェイストタウンとしてのブランディングとマーケティングは、住民の努力無しには決してなしえないものです。

いまの形に至るまでには数々の苦難があったことは容易に想像でき、その苦難をどう打破してきたのか。上勝町の事例は国内外の好事例となり、良い研究対象となるでしょう。

自分の住む自治体でのリサイクルにかかわる収支やごみ処理にかかる費用について、目を向けていきたいと思うきっかけとなりました。